私がキム・ヒチョルと出会ったころ
なんのことを書けばいいのかな、とずっと考えていたのですが、まずはこのことから書きたいな、と思ったので。
私がキム・ヒチョルに出会ったのは、2010年のお正月のことでした。
2009年の秋〜冬、東方神起の解散騒動に揉まれ続けた私にとって、2010年のお正月は今思い出してもとても悲しいものです。
2008年にはあんなに嬉しそうに出演していた、夢だったと語っていた紅白歌合戦の大舞台。外国人アーティストが、自分たちの年末年始を日本に捧げてくれることが、私は本当に嬉しかったのです。ハモりがあるときには横並びの立ち位置で必ず、目を合わせて歌い合うのが彼らの決まりでした。でも、2009年の紅白歌合戦では、5人は誰一人として目を合わせることなく、じっと正面を見据えたまま、全員虚ろな瞳で歌っていた。あんなに悲しいStand by Uは、あんなに悲しい東方神起は初めて見た。どこからどう見ても、私の知っている東方神起ではなかったのです。
私は特に、チャンミンのことが心配でした。テレビで観ると、明らかに頬がこけていました。自分のパートが終わるか終わらないかくらいのタイミングでパッとマイクを下げ、目が死んでいるように見えました。それを見た何も知らないスポーツ新聞の人たちは、チャンミンが紅白でやる気がないと叩きました。日本の事務所の社長も、ツイッターでチャンミンについて、ちょっと誤解を生むだろう発言をしていました。
でも、あの時チャンミンは22歳だったのです。デビューからずっと韓国芸能界のトップを走っていたら、いきなり落とし穴があって真っ暗なところに落とされて、自分の力ではどうにもできないところまで引きずり落とされた22歳の男の子は、何もできず、何も言えず、ただただ苦しんでいるように見えました。
チャンミンが心配で心配で、チャンミンの動向は特に丁寧に追っていました。そのとき、韓国でチャンミンがスーパージュニアのキボムの舞台の応援に行ったというニュースがでました。1月のことだったと思います。
今見ても、このころのチャンミンの表情や痩せ方は、本当に胸が痛みます。
そして、記事ではスーパージュニアの別のメンバーも同席したと報じられました。
チャンミン痩せたな〜とか思っていたら、なんか、隣に、室内なのにめちゃめちゃぐるぐる巻きの不審者おるやん!!!!!!!!!!ということに気づきました。
これが、私とキムヒチョルの出会いです。
つづく。
教養としての東方神起
5人時代の導線などまとめ。
◎5人を覚える。
これさえ見れば確実に一瞬で覚えられる!!!!!!!!!!
3分でわかる東方神起と、
◎とにかくイル活が面白い。
まず入りはイル活を。キュートでおちゃめで仲良しな5人。
・music fighter「もっと日本語を上達させたい」
・ツボ神起
この辺で、ペンが作った面白動画を観るのも乙。
・最強チャンミン伝説
ちゃみがいかにヒョンに愛されているか分かる最強マンネ動画。
さらにバラエティーを見たい場合はこんなのもあるよ。
・しゃべくり007
◎イルパフォはライブの入りがかっこいい!!(あと、
・ZION:日本2年目、しびれる!!
◎とにかく歌!!
・Love in the Ice:ジュンちゃんって天才なんだなという実感。ちゃみ作詞。
・日本曲カバーメドレー:ライオンハートなどは本家よりも、、、
ここまで見ると、なんか可愛くて面白くて歌うまくて、
◎本国活動
韓国では、SM主導の超ドSプロデュースなので、えっ、えっ、
・hey, don’t bring me down:タイトルから大体ニュアンスはわかりますが、「
・Mirotic:代表曲だけど、危険すぎて18禁に。「
・Wrong Number:この頃ひどかったサセンペンへの忠告を、
しかし!!!メンバー作曲になると、
・Picture of you:じゅんちゃん作曲でこの頃全員ビジュアルも神
結論:どこまで揺さぶれば気がすむのかお前たちは。
◎番外編1
ラジオの小ネタ、最高にかわいくて面白い
・ジェジュンの筋肉、アリかナシか
◎番外編2
個人で気になる子ができてしまった場合はコチラ。
・ユチョン:これは名パフォ
・チャミ:ラストの高音が圧巻
・ジュンス:歌のみのソロでも十分なのに、
・ユノ:えっっろという感想
以上!
分裂の経緯はそれはそれはおぞましいものです。